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日本古典文学は、如何にして〈古典〉たりうるか?
―リベラル・アーツの可能性に向けて―
書名かな | にほんこてんぶんがくはいかにしてこてんたりうるか?―りべらる・あーつのかのうせいにむけて― |
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著者(編者)名 | 深沢 徹 著 |
著者(編者)名かな | ふかざわとおる |
ISBNコード | 978-4-8386-0493-7 |
本体価格 | 3,000円 |
税込価格 | 3,300円 |
判型 | 四六判並製カバー装 |
頁数 | 276頁 |
刊行日 | 2021年4月23日 |
在庫 | 品切れ |
「古典」とは何かについての根源的な問いかけ
「古典」は「古典」として既にあるのではない。それを「古典」として維持し、継承していく人びとの、たゆみない努力なくして「古典」は「古典」たりえない。この自明の事柄を、いわゆる〈リベラル・アーツ〉の営みとの関連で明らかにしていきたい。
【プロロゴス】 はじめに(本書の概要)
【パロドス】 注釈、翻訳、犯し、あるいはリベラル・アー
ツとしての〈もどき〉の諸相
源氏物語の方へ
【第一エペイソディオン】 格子からの逃走─道長VS式部
【第一スタシモン】 忌まわしき〈嵯峨〉のトポス
─『源氏物語』の作者紫式部にみる、ひそやかな反逆
日記文学の方へ
【第二エペイソディオン】 『更級日記』末尾の一節
─〈他者〉のことばで、作品が終わっていいのか?
【第二スタシモン】 狂言綺語へのあらがい
─『更級日記』から『源氏一品経表白』をへて
『無名草子』へ
歴史物語の方へ
【第三エペイソディオン】 慈円『愚管抄』解題
【第三スタシモン】 喰ってかかる『愚管抄』
─ゆらぐ歴史叙述と、そのなかでの『今鏡』の位置
王権論の方へ
【第四エペイソディオン】 グローバル資本主義のもとに
生きる〈縁〉なき衆生は、いかなるフェティッシュ
を夢見るか?
【第四スタシモン】 頼朝の二つの顔
─『貞永式目』から読む『曽我物語』
【エクソドス】 吃音とエクリチュール
初出一覧
主要人名索引