研究書(文学系) 詳細
古代的心性研究序説
書名かな | こだいてきしんせいけんきゅうじょせつ |
---|---|
著者(編者)名 | 佐藤 陽 著 |
著者(編者)名かな | さとうよう |
ISBNコード | 978-4-8386-0791-4 |
本体価格 | 12,000円 |
税込価格 | 13,200円 |
判型 | A5判上製函入 |
頁数 | 366頁 |
刊行日 | 2024年2月28日 |
在庫 | 有り |
はじめに
第一部 芸能研究
序章Ⅰ 本論の目指す「芸能」研究
一 「祭式」・「儀礼」から「芸能」へ
二 「芸能」の釈義について
三 各章の内容
第一章 芸能に付与される釈義と、釈義からの逸脱
―天武期の芸能を中心として―
一 「芸能」について
二 王権によって釈義を付与される被支配者の芸能
三 天武朝の礼楽思想
四 天武朝の芸能概観
第二章 こころを解くわざ
―『万葉集』巻十六・三八〇七番歌と左注の検討
一 問題の所在
二 「影さへ見ゆ」という表現
三 井の「浅さ」を歌うこと
四 翻弄する歌
五 「撃膝」の意味
六 当該歌左注における「風流」
七 怒りを鎮めるあそび
第三章 前采女の「風流」 ―儀礼的拘束からの逸脱―
一 問題の所在
二 中国における「風流」の概観 初唐に至るまで
三 日本における「風流」の受容と前采女の「風流」
(儒家的風流に焦点を当てて)
四 日本における「風流」の受容と前采女の「風流」
(神仙的風流に焦点を当てて)
五 采女による坏の儀礼的奉献と「祗承」
六 「風流」の自己相対化
七 おわりに
第四章 景と心の共振
―芸能的心性の一つの原点―
一 問題の所在
二 「ほに出づ」を導く動的な景
三 神の火の伝承と灯火に揺らめく幻影
四 穂を靡かせる神と霊魂
五 両義的な景と「意識の例外状態」
補説 芸能における「共振」
第二部 踏歌研究
序章Ⅱ 「男踏歌」の群行は「まれびと」なのか
一 折口信夫の「まれびと」論によって
見出された「男踏歌」
二 「まれびと」の民俗と重ねられる男踏歌
三 歴史性を捨象された「男踏歌」
四 折口以後の「まれびと」論の問題と第二部の目的
五 各章の内容
第五章 宮廷男踏歌における「まれびと」
―言吹についての基礎的考察―
一 問題意識
二 男踏歌に至る前史
三 男踏歌の「創始」
四 政治儀礼としての男踏歌、言吹
五 踏歌を構成する人々 近衛府上級官人について
六 踏歌を構成する人々 近衛府下級官人について
七 言吹と高巾子①
折口説の根拠としての『西宮記』大永本
八 言吹と高巾子②
大永本における二種の本文の関係性について
九 言吹と高巾子③
大永本における二種の本文から読み取るべきこと
十 言吹に対する同時代の眼差し
― 『源氏物語』踏歌記事の検討を通して ―
十一 滑稽芸としての言吹
― 近衛府下級官人による散楽との共通性 ―
十二 中世・石清水八幡宮寺における言吹
十三 終わりに 言吹の「零落」
第六章 熱田神宮「踏歌詩」の淵源
―農耕儀礼としての鍬制作に着目して―
一 問題意識
二 熱田頌文と田遊びの詞章の共通性
三 熱田「踏歌詩」と伊勢神宮種蒔下始との平行性
四 伊勢の儀礼と熱田「踏歌詩」の相違
第七章 地方社寺踏歌の展開
―石清水八幡宮寺に着目して―
一 問題意識
二 修正会の意義
三 石清水八幡宮寺の踏歌次第
四 十五日儀礼における踏歌の位置づけ
五 まとめと課題 修正会の外部性
第八章 地方社寺踏歌の変容
―宇佐神宮寺の踏歌から―
一 問題意識
二 宇佐神宮の踏歌
三 修正会結願に出現する鬼 ―その両義性について―
四 鉄輪の鬼
五 厨家巡行の意義
六 おわりに
附録 群臣・男踏歌年表
第三部「常世研究」
序章Ⅲ 「常世」は「まれびと」の故地たりうるのか
一 問題意識
二 折口論の展開と綻び
「まれびと」と結びつけられる「常世」
三 「まれびと」と共同体の関係性
四 上代における「常世」への心性
五 現実に引き寄せられる「常世」
六 各章の内容
第九章 輻湊するまなざし
―「太上皇、難波宮に御在しし時の歌七首」
及び家持の追和をめぐって―
一 考察対象および問題提起
二 七首の概要
三 家持の追和二首
四 切実な祈りの歌
五 和風諡号について
六 「とこ―」から滲む諦念と悲しみ
七 輻湊するまなざし
第十章 「国も狭に生ひ立ち栄え」
―橘を植えひろめた人々―
一 タヂマモリの使命
二 三宅氏の周辺氏族
三 三宅氏の関与する屯倉
四 港湾と橘
五 港津を拠点とした橘の栽培
六 橘を植え広める意義
おわりに
あとがき
参考文献
引用文献
初出一覧
索引